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ニーチェ年譜

ニーチェの年譜を、音楽に関する出来事と合わせて構成してみました。

重要事項は赤色青字地名は「ニーチェを辿る旅」の各ページへリンクしています。

 

西暦年(歳)

年譜 

音楽に関する出来事

著作

1844 (0)

10/15 フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ誕生
 
ライプツィヒ西南にて、父カール・ルー ドヴィヒ(牧師)、母フランチェスカの長男として。

 

  

1845 (0-1)

 

 

 

1846 (1-2)

妹エリーザベト誕生

 

 

1847 (2-3)

 

 

 

1848 (3-4)

弟カール・ヨーゼフ誕生

 

 

1849 (4-5)

父死去 死因は脳軟化症とされる

 

 

1850 (5-6)

弟急死
母・妹・祖母・2人の伯母と
ナウムブルクへ移住

 

 

1851 (6-7)

 

 

 

1852 (7-8)

 

 

 

1853 (8-9)

 

 

 

1854 (9-10)

 

ピアノのレッスンを受ける
作曲を始める

 

1855 (10-11)

 

 

 

1856 (11-12)

祖母エルトムーテ死去

 

 

1857 (12-13)

 

 

 

1858 (13-14)

プフォルタ学院に入学、寮へ

 

 

1859 (14-15)

 

 

 

1860 (15-16)

同好会<ゲルマニア>結成

  

  

1861 (16-17)

 

<ゲルマニア>にて、ヴァーグナーの「トリスタンとイゾルデ」のピアノ編曲抜粋を知る
翌年にかけて、交響詩「エルマナリヒ」を作曲

 

1862 (17-18)

 

 

 

1863 (18-19)

 

 

 

1864 (19-20)

ラテン語の卒論を書き、プフォルタ学院卒業
ボン
大学神学部入学

作曲がさかんな時期で、コンサートにもよく行く

 

1865 (20-21)

ボン大学文学部に学籍登録
ボン大学から
ライプツィヒ大学へ
『意志と表象としての世界』を読む

 

 

1866 (21-22)

 

 

 

1867 (22-23)

 

 

 

1868 (23-24)

 

 

 

1869 (24-25)

ライプツィヒ大学で無試験で博士号取得
バーゼル
大学、古典文献学員外教授に就任
プロイセン国籍から除籍

1/21ドレスデンで「マイスタージンガー」初演を聴く
5/15
初めてトリープシェンのヴァーグナー家訪問

 

1870 (25-26)

正教授となる
普仏戦争に志願、看護兵として従軍

クリスマスをトリーフ゜シェンで過ごす
ウ゛ァーク゛ナーがコシ゛マに「シ゛ークフリート牧歌」を贈る

 

1871 (26-27)

 

「大晦日の夜の余韻」(コシ゛マに献呈)

 

1872 (27-28)

 

ウ゛ァーク゛ナー、バイロイトに引越
4
月末 トリーフ゜シェンに最後の訪問。
6
月末ヒ゛ューロー指揮「トリスタンとイソ゛ルテ゛」聴く
12
月末 ウ゛ァイマールで「ローエングリン」を聴く

「マンフレッド瞑想曲」作曲
(しかしこの曲をビューローは酷評)

『悲劇の誕生』第1版刊行

1873 (28-29)

 

 

『反時代的考察』
第1篇刊行

1874 (29-30)

  

「友情への讃歌」作曲
ブラームス指揮「運命の歌」を聴く

『反時代的考察』
第2篇
刊行

1875 (30-31)

  

 

 

1876 (31-32)

  

ソレントにて、ヴァーグナーとの最後の会合

 

1877 (32-33)

 

 

 

1878 (33-34)

 

 

『人間的I』刊行

1879 (34-35)

体調悪化でバーゼル大学退職

 

 

1880 (35-36)

 

 

 

1881 (36-37)

初めてシルス・マリーアに滞在
「永遠回帰」思想が襲う

11月 ビゼー「カルメン」を聴いて感激する

『曙光』刊行

1882 (37-38)

ルー・レーと過ごす
夏、ルーとタウテンブルクに滞在

「生への讃歌」作曲(最後の作曲)
ヘ゜ーター・カ゛ストを"新しいモーツァルト"と称賛


『悦ばしき智恵』

1883 (38-39)

 

2/13 ヴァーグナー死去

 

1884 (39-40)

 

 

 

1885 (40-41)

 

 

『ツァラトゥストラ』

1886 (41-42)

 

 

『善悪の彼岸』

1887 (42-43)

 

「生への讃歌」出版

『道徳の系譜』

1888 (43-44)

 

ビゼー『カルメン』に感激

『ワーグナーの場合』刊行

1889 (44-45)

ニーチェ、トリノにて精神錯乱
母とイエナで治療
母とナウムブルクへ

 

『偶像の黄昏』刊行

1890 (45-46)

 

 

 

1891 (46-47)

 

 

 

1892 (47-48)

 

 

 

1893 (48-49)

 

 

 

1894 (49-50)

 

 

 

1895 (50-51)

 

 

 

1896 (51-52)

母死去
エリーザベトとニーチェ、ワイマール

 

 

1897 (52-53)

 

 

 

1898 (53-54)

 

 

 

1899 (54-55)

 

 

 

1900 (55-56)

8/25 ニーチェ死去

 

 

 

表内 ニーチェ音楽作品 注:

1861

交響詩「エルマナリヒ」:Ermanarich, Symphonische Dichtung (fuer Klavier)

1871

「大晦日の夜の余韻」:Nachklang einer Sylvesternacht mit ProzessionsliedBauerntanz und Glockengelaut (fuer Klavier vierhaendig).前年のヴァーグナーの「ジークフリート牧歌」を受けてか、クリスマスにコジマに送付した。献辞つきのこの楽譜は、現在もヴァーンフリート荘に展示されている。

1872

「マンフレッド瞑想曲」:Manfred-Meditation(fuer Klavier vierhaendig).自信をもってハンス・フォン・ビューローに送付するも、酷評(1872724日ニーチェ宛書簡)を受けた。

1874 

「友情への讃歌」:Hymnus auf die Freundschaft

1882

「生への祈り」:Gebet an das Leben(fur Singstimme und Klavier
「友情への讃歌」をもとに、ルー・ザロメの詩「生への祈り」に曲をつけたもの。

1887

「生への讃歌」:Hymnus an das Leben(fur gemischen Chor und Orchester) ぺーター・ガストに「生への祈り」の編曲を依頼し、出版。

表内 その他の注:
1882
年      ”新しいモーツァルト”:1110日オーヴァーベック宛書簡にて、ヴァーグナーをけなし、ケーゼリッツ
                
=ガスト)の音楽を称賛したときの言葉。

 

 

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