|
|
|
|
|
ニーチェとシルス=マリーア(Sils-Maria)
|
ニーチェが初めてシルスに滞在したのは1881年の夏(7~10月)のことでした。ニーチェはこの土地を自分の真の故郷のように愛し、1883年から1888年まで毎夏をシルスで過ごすようになります。
ここにはニーチェが住んだニーチェ・ハウス、食事をしたホテル・エーデルワイス、宿泊したホテル・アルペンローゼ、永遠回帰を着想した回想シーンに出てくるジルヴェプラーナ湖の三角岩などニーチェゆかりのものが数多く残っています。
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
シルス=マリーアの一般情報
|
|
|
|
|
|
|
|
ニーチェ・ハウス(Nietzsche Haus) |
|
大学退職後の夏を主に過ごした家が、現在「ニーチェ・ハウス」として公開されています。毎年9月にはここでニーチェ・コロキウムが開かれています。またこのニーチェ・ハウスは一般の宿泊も可能で、わたしも申し込んだのですが、残念ながら予定日は既に満室でした。
ニーチェ・ハウスの中では写真を撮ってもいいかどうか尋ねると、SF5を支払えばOKとのことでした。お支払して、心おきなくじゃんじゃん撮りました。
<ニーチェ・ハウス情報(2002年現在)>住所:7514-Sils-Maria Schweiz
Tel:(日本から)0041-(0)81-8265369 http://www.nietzschehaus.ch/
E-mail:nietzschehaus@hotmail.com |
(外観)
(内部)
|
|
ニーチェの胸像 |
療養するニーチェの様子を表した小さな像 |
|
|
さまざまな書簡(オリジナル) |
学生時代から晩年までの写真の展示 |
|
|
(左):ニーチェの診断書。バーゼルのページで紹介した、バーゼル大学神経科病院1889年1月10日の診断書の原本をコピーしたもののようです。そのとき紹介した"Chronik"の写真では、タイプ打ちしてあったのですが、こちらは手書きです。冒頭部分を見た限りでは、内容は同じもののようですが。
(右):精神に異常をきたしたニーチェが書いたもの。かなりびっくり。説明によると、イエナの精神科医ヴィンスヴァンガーに治療を受けているころに書かれたもののようです。
ところで池田晶子さんの『2001年哲学の旅』という本の中にニーチェ・ハウスを訪れた旅行記風の記事がありました。以下、引用です。
「ある紙片には、単語や音符、詩の行文のようなものや、疑問符、感嘆符などが、混然と殴り書きされている。「これが遺書だ」と言って、医者に渡したものらしいのだが、要するに、発狂後の彼の頭の中は、このような状態にあったということである。それらを統制し構成する力を失うということが、発狂するというそのことならば、発狂とは何らか特殊な状態の現出ではなく、混沌すなわち自然への回帰に他ならない。そして、それこそ彼自身が長く求めていたそのことなのだから、彼は自ら望んで発狂したのだと、どうしても言いたくなる。梅毒その他が、その理由なのではない。人が狂気することの論理的な理由は、狂気それ自身の側にある。」
|
|
|
(左):ニーチェのデスマスク。
(右):ニーチェの名刺(左下が表部分)。名刺ってヨーロッパでは16世紀からあるらしいのですが、現代的な名刺とほとんど変わらないニーチェの名刺をみると、ニーチェという存在がリアルに感じられませんか?この名刺には、1886年9月8日に彼自身の手によるメッセージが書かれているのですが、ニーチェの字ってとても読みづらい。ここで買える、2002/03年の特別展"Nietzsches
Silser Briefe an seine Freunde 1881-1888"のカタログの中で、この名刺の文字解読をしてくださっています。 |
|
|
|
|
ニーチェの書き込み入り著書 |
バーゼルでの診断書 |
書簡 |
|
|
|
|
|
書簡 |
ニーチェのタイプライターを
モチーフにしたオブジェ |
階段 |
ニーチェの蔵書棚 |
二階にあるニーチェの部屋(立ち入りは禁止)
ニーチェ・ハウス前の鷲(Adler)の像。ニーチェ存命中にはなかったものです。
シルスでは、住人以外は車を村に入れることはできないそうで、村内を馬車が通っています。
|
ホテル・エーデルワイス(Hotel Edelweiss) |
|
|
|
ニーチェ・ハウスに宿泊できなかったので、ホテル・エーデルワイスに宿をとりました。ホテルは、ポスト・バスの乗り場からも近く、また写真(右)のように、ニーチェ・ハウスの隣にあります。 |
|
|
(左):ホテル1階のレストラン。ニーチェはここで食事をしたことがあります。中はきれいに改装されているようにも見え、当時のままかどうかはわかりません。天井も高く広くて美しいホールで、食事自体もとてもすばらしく、朝・夜食事つきにしておいて本当によかった。ただし、シルスには食料を売っているような商店が見当たらず、レストランもほとんどないので、お昼は部屋のウエルカム・フルーツを食べてしのいでいたから、二度の食事が余計おいしく感じられたのかもしれません。なお、夕食時は笑顔の支配人がひとつひとつのテーブルを回って挨拶に来られます。
このホールのウエイターさんたちもみんないい方でした。さりげなく親切だしユーモアあるし、レストランの写真撮りたいというと、準備中なのにわざわざ電気つけてくださいました。
(右):ホテルの部屋(Einzelzimmer)。 |
|
アルペンローゼ(Alpenrose) |
|
|
|
シルス滞在時にニーチェが宿泊したホテル。現在はホテルではなく、レストラン・アルペンローゼとして経営されています。建物は残っており、横から見るとホテルとして使われていた部屋が並んでいました。
ニーチェ・ハウスには、ホテル・アルペンローゼに1884年8月に宿泊したときのゲストブックが展示してあります。 |
|
シルス湖(Silser See) |
|
|
|
左の写真は、Silser See湖畔、Chastèという地名の辺りにあるニーチェの石碑(Die Nietzsche-Tafel)です。『ツァラ』第三部Das
andere Tanzliedの一部の「深い、深い永遠を欲する」というくだりで終わる有名な詩の部分である。 |
|
ジルヴァプラーナ湖(Silvaplaner See)の三角岩 |
|
1881年、ジルヴァプラーナ湖のほとりを散歩していたニーチェ。
三角の形をした岩のあたりにさしかかったそのとき、永遠回帰の思想が彼を襲った。
その三角岩とされている岩があるということで、湖に探しに行きました。
(ただし一般に「これじゃないか?」と言われているだけであって、
確実にこの岩だという保証はありません。)
|
|
歩いて |
|
|
|
歩いて、やっぱり撤去されたのかな、とか、もう引き返そうかな、とかいろいろ思いながら延々と湖に沿って歩いて・・・ |
あった!通称「ツァラトゥストラ岩」。
ここなのか~、としみじみ。何時間も歩きましたが、がんばってよかった。
・・・以上、2002年夏訪問・・・
|