9.Sils-Maria

 

  ニーチェとシルス=マリーア(Sils-Maria)

 ニーチェが初めてシルスに滞在したのは1881年の夏(7~10月)のことでした。ニーチェはこの土地を自分の真の故郷のように愛し、1883年から1888年まで毎夏をシルスで過ごすようになります。
 ここにはニーチェが住んだニーチェ・ハウス、食事をしたホテル・エーデルワイス、宿泊したホテル・アルペンローゼ、永遠回帰を着想した回想シーンに出てくるジルヴェプラーナ湖の三角岩などニーチェゆかりのものが数多く残っています。

 

  シルス=マリーアの一般情報

 

 シルス・マリーアはスイスの町サン・モリッツからバスで20分ほどの小さな静かな村です。
スイスにはドイツ語・フランス語・イタリア語・ロマンシュ語の4つの「国語」があり、また公用語と定められているのはドイツ語・フランス語・イタリア語の3つの言語、そして限定的に、州〔カントン〕の公用語としてグラウビュンデン州にはロマンシュ語が含まれます。シルスはスイス独特の少数言語である、この「ロマンシュ語」が現存するグラウビュンデン州に属しています。
 サン・モリッツを含め、この辺りはオーバー・エンガ―ディンと呼ばれる地方で、アルプスの山々と湖が美しい自然豊かな場所です。

家に描かれている模様は「スグラフィッティ」とよばれる、エンガディン地方独特の装飾です。その伝統的な手法は、壁の表面を引っかいて下地を出して模様を描くというもの。   


ニーチェ・ハウス(Nietzsche Haus)


 大学退職後の夏を主に過ごした家が、現在「ニーチェ・ハウス」として公開されています。毎年9月にはここでニーチェ・コロキウムが開かれています。またこのニーチェ・ハウスは一般の宿泊も可能で、わたしも申し込んだのですが、残念ながら予定日は既に満室でした。
 ニーチェ・ハウスの中では写真を撮ってもいいかどうか尋ねると、SF5を支払えばOKとのことでした。お支払して、心おきなくじゃんじゃん撮りました。
<ニーチェ・ハウス情報(2002年現在)>住所:7514-Sils-Maria Schweiz
  Tel:(日本から)0041-(0)81-8265369 http://www.nietzschehaus.ch/   
  E-mail:nietzschehaus@hotmail.com

(外観)
   
   

(内部)
 ニーチェの胸像  療養するニーチェの様子を表した小さな像
 さまざまな書簡(オリジナル)  学生時代から晩年までの写真の展示
(左):ニーチェの診断書。バーゼルのページで紹介した、バーゼル大学神経科病院1889年1月10日の診断書の原本をコピーしたもののようです。そのとき紹介した"Chronik"の写真では、タイプ打ちしてあったのですが、こちらは手書きです。冒頭部分を見た限りでは、内容は同じもののようですが。
(右):精神に異常をきたしたニーチェが書いたもの。かなりびっくり。説明によると、イエナの精神科医ヴィンスヴァンガーに治療を受けているころに書かれたもののようです。

 ところで池田晶子さんの『2001年哲学の旅』という本の中にニーチェ・ハウスを訪れた旅行記風の記事がありました。以下、引用です。
 「ある紙片には、単語や音符、詩の行文のようなものや、疑問符、感嘆符などが、混然と殴り書きされている。「これが遺書だ」と言って、医者に渡したものらしいのだが、要するに、発狂後の彼の頭の中は、このような状態にあったということである。それらを統制し構成する力を失うということが、発狂するというそのことならば、発狂とは何らか特殊な状態の現出ではなく、混沌すなわち自然への回帰に他ならない。そして、それこそ彼自身が長く求めていたそのことなのだから、彼は自ら望んで発狂したのだと、どうしても言いたくなる。梅毒その他が、その理由なのではない。人が狂気することの論理的な理由は、狂気それ自身の側にある。」

(左):ニーチェのデスマスク。
(右):ニーチェの名刺(左下が表部分)。名刺ってヨーロッパでは16世紀からあるらしいのですが、現代的な名刺とほとんど変わらないニーチェの名刺をみると、ニーチェという存在がリアルに感じられませんか?この名刺には、1886年9月8日に彼自身の手によるメッセージが書かれているのですが、ニーチェの字ってとても読みづらい。ここで買える、2002/03年の特別展"Nietzsches Silser Briefe an seine Freunde 1881-1888"のカタログの中で、この名刺の文字解読をしてくださっています。

 ニーチェの書き込み入り著書  バーゼルでの診断書 書簡  
       
 書簡  ニーチェのタイプライターを
モチーフにしたオブジェ
 階段  ニーチェの蔵書棚


二階にあるニーチェの部屋(立ち入りは禁止)


ニーチェ・ハウス前の鷲(Adler)の像。ニーチェ存命中にはなかったものです。
シルスでは、住人以外は車を村に入れることはできないそうで、村内を馬車が通っています。

ホテル・エーデルワイス(Hotel Edelweiss)
 ニーチェ・ハウスに宿泊できなかったので、ホテル・エーデルワイスに宿をとりました。ホテルは、ポスト・バスの乗り場からも近く、また写真(右)のように、ニーチェ・ハウスの隣にあります。
(左):ホテル1階のレストラン。ニーチェはここで食事をしたことがあります。中はきれいに改装されているようにも見え、当時のままかどうかはわかりません。天井も高く広くて美しいホールで、食事自体もとてもすばらしく、朝・夜食事つきにしておいて本当によかった。ただし、シルスには食料を売っているような商店が見当たらず、レストランもほとんどないので、お昼は部屋のウエルカム・フルーツを食べてしのいでいたから、二度の食事が余計おいしく感じられたのかもしれません。なお、夕食時は笑顔の支配人がひとつひとつのテーブルを回って挨拶に来られます。
 このホールのウエイターさんたちもみんないい方でした。さりげなく親切だしユーモアあるし、レストランの写真撮りたいというと、準備中なのにわざわざ電気つけてくださいました。
(右):ホテルの部屋(Einzelzimmer)。



アルペンローゼ(Alpenrose)
 シルス滞在時にニーチェが宿泊したホテル。現在はホテルではなく、レストラン・アルペンローゼとして経営されています。建物は残っており、横から見るとホテルとして使われていた部屋が並んでいました。
 ニーチェ・ハウスには、ホテル・アルペンローゼに1884年8月に宿泊したときのゲストブックが展示してあります。 


シルス湖(Silser See)
 圧倒される景色です。

 この雄大な景色を見ていると、私にはなんとなくニーチェがこの土地を好んだのがわかるような気がしました。この雄大さの中で、一つの偉大な思想が自分のうちに芽生える気持ち、大地の意義といったものが、私なりに感覚的に(崇高さのようなものが)掴めたからでした。

 
左の写真は、Silser See湖畔、Chastèという地名の辺りにあるニーチェの石碑(Die Nietzsche-Tafel)です。『ツァラ』第三部Das andere Tanzliedの一部の「深い、深い永遠を欲する」というくだりで終わる有名な詩の部分である。


ジルヴァプラーナ湖(Silvaplaner See)の三角岩

1881年、ジルヴァプラーナ湖のほとりを散歩していたニーチェ。
三角の形をした岩のあたりにさしかかったそのとき、永遠回帰の思想が彼を襲った。

その三角岩とされている岩があるということで、湖に探しに行きました。
(ただし一般に「これじゃないか?」と言われているだけであって、
確実にこの岩だという保証はありません。)

 歩いて  
歩いて、やっぱり撤去されたのかな、とか、もう引き返そうかな、とかいろいろ思いながら延々と湖に沿って歩いて・・・ 




あった!通称「ツァラトゥストラ岩」。
ここなのか~、としみじみ。何時間も歩きましたが、がんばってよかった。



・・・以上、2002年夏訪問・・・



 



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