9. Genova・Nice

 

 ニーチェとジェノヴァ(Genova)

 

 ニーチェは、1876年に数日を過ごしたのを最初に、1880年の冬から春(11-4月)、1881年の冬から春(10-3月)、1882年3月、1883年の春(2-5月)をジェノヴァで過ごしています。1880年の年末にはここで『曙光』を執筆しています。1881年、ビゼーの「カルメン」を聴いたのもこの街です。

 

  ジェノヴァの一般情報

 

 イタリア北部の港町ジェノヴァ。街に豪華な建物の地域と暗い地域が混在している印象を持ちました。暗い感じがしたのは、裏道が多く、建物は黒くすすけていて古く、圧迫感があるせいでしょうか

 大航海時代の探検家コロンブスは、ジェノヴァ出身。プリンチペ駅前にコロンブス像(Statua di Cristoforo Colombo)が建っています(下の写真左)
 16世紀頃黄金期を迎えたジェノヴァでは多くの宮殿が建築され、ガリバルディ通り(Via Garibaldi)に今も多くが残されています。写真は、通りをはさんで向かいあって立っている 白の宮(Pal.Bianco)(下の写真中央左)赤の宮(Pal.Rosso)(同中央右)

 
 同じくガリヴァルディ通りにあるドーリア・トゥルシ宮(Pal.Doria Tussi)(写真右上)。ここにはパガニーニ愛用のヴァイオリン「グァルネリ」があり、また作曲家ヴェルディが滞在してオペラ「アイーダ」を作曲したことでも知られています。(パガニーニってジェノヴァ生まれだったのですね。)現在は市庁舎として使用されています。
 
左の写真は王宮(Palazzo Reale)。サヴォイア家が所有、19世紀にはサルディーニャ王国の王宮であったことからそう呼ばれています。


Salita delle Battistine 8番地

ニーチェは「Salita delle Battistine 8番地」の住所の屋根裏部屋にストーブなしで滞在したと、
1881年2月のOverbeck宛の書簡に記している
写真は現在の8番地。

 

 

ヴィレッタ・ディ・ネグロ公園(Villetta di negro)

ヴィレッタ・ディ・ネグロ公園からの眺望。
『ニーチェの病跡』では、「わたしは今日ジェノヴァのはるか高みを歩いて、天国的なお天気のもとに町と海を見下ろしてきました」という母と妹宛の書簡から、彼が散歩したのはこの公園であると推測されています。

 


・・・以上、2003年春訪問・・・

 ニーチェとニース(Nice)

 

 ニーチェの冬の滞在地は1883年を境にジェノヴァからニースに移ります。ニーチェは1883年から1888年まで5年連続で訪れています。

 (ニースは未訪です。)








 



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