8. Luzern・Tautenburg

 

  Luzern(ルツェルン)とTautenburg(タウテンブルク)とニーチェ

 

 このページではニーチェとルー・ザロメの間に生まれたエピソードのゆかりの地として、ルツェルン(スイス)と、タウテンブルク(ドイツ、イエナ近郊の小村)を取り上げております。

 

  ルツェルンの一般情報

 

 ルツェルンはフィーアヴァルトシュテッテ湖(Vierwaldstätter See)の湖畔に形成されたスイス中部の都市です。ルツェルンの顔は何といっても、カペル橋 (Kapellbrücke)(下の写真)

(右):屋根の内側には三角形の板110枚が貼られ、1枚1枚違う絵が描かれています。17世紀に取り付けられたもの。
(左):夜のフィーアヴァルトシュテッテ湖と、 (右):フィーアヴァルトシュテッテ湖畔の白鳥。
   (左):イエズス教会(Jesuitenkirche)
1667年に作られた教会で、白とピンクの内装が愛らしい。

 
(右):二本の尖塔が印象的な現在のホーフ教会(Hofkirche)は、火災にあった後、1645年に後期ルネサンス様式で再建されたもの。元はベネディクト会修道院で8世紀から続く歴史を持つ。
 
(右):ピカソ美術館(Picasso Museum Luzern)は旧市庁舎の隣、アム=リューン=ハウス(Am-Rhyn-haus)という1618年建造のルネッサンス様式の白い建物の中に設けられています。ピカソの最後の20年間の作品に加え、最上階には写真家D.D.Duncanが撮影した200点にも及ぶピカソの写真(ジャクリーンや子供
たちとの日常生活風景や、キャンバスに向かうところなど)が展示されています。ピカソが愛する人を描いた作品Portrait de Jacquelineと、実際の彼女とのさまざまな生活の様子を写真で見比べられるのも興味深い。
(左)
:ライオン記念碑の隣にある、氷河公園(Gletschergarten)。氷河が再現されているのかと勘違いして行ってしまったが、化石の博物館の類。鏡の迷路なるものも併設されています。
(左):旧市街のヴァインマルクト(Weinmarkt)。1481年製作の後期ゴシックの噴水を、フレスコ画が美しい建物が囲む広場。左の写真の緑の家に描かれているのは「カナの婚礼」。「ワイン」マルクトだけに、キリストが水をワインに変えた奇跡の場面を描いたということなのでしょうか。
(右):Hotel des Balances。12世紀からという古い歴史をもつこの建物は、現在はホテルとして利用できますが、かつては市庁舎として使われたこともあった建物。
(左):ルツェルン駅。(中央):ルツェルン駅のまわりは近代的な建物で構成されています。 写真は駅隣りのルツェルン市立美術館の前にある巨大な噴水(右):ブールバキ・パノラマ館(Bourbaki Panorama Luzern)で は普仏戦争におけるフランスの敗北や 厳冬のスイス国境を越えたブールバキ将軍率いるフランス軍が武装解除する様を、360°パノラマの絵の中に立って鑑賞することができます。


ライオン記念碑(Löwendenkmal)
 ルツェルンのライオン記念碑は、1882年に、ニーチェがルーと会うために待ち合わせをした場所らしい。

 ライオン記念碑は、氷河公園のとなりにあります。フランス革命下の1792年にパリでルイ16世を守ろうとして全滅した786人のスイス傭兵を記念してつくられた慰霊碑です。
 実際に行ってみたところ、観光客はぱらぱらといますが、木々に囲まれた静かな場所でした。



 

  タウテンブルクの一般情報

 タウテンブルクは原自然的な、すぐに一周できてしまうほんとうに小さな村でした。交通手段は極めて本数の少ないバスのみ。(ちなみに片道2.70Euro。)


タウテンブルクは、ニーチェがルー・レーとの「三位一体」の共同生活を計画したところです。
ただ、この計画は結局実現することはありませんでした。

   

バス停横に、村を訪れた有名人を記す看板を発見しました。
"der Philosoph Friedrich Nietzsche und Lou von Salome(1882)"と記されています。(
写真右、下から3分の1辺り)。
蛇足ですが、フランツ・リストやマックス・レーガーの名もありました。

 写真(左):やはりヨーロッパはどんなに小さな村でも必ずあるんですね、教会。

(左):手前の白い建物は1721年に建ったので、ニーチェがいたときにもあった計算になります。
(右)
:バス停横では馬を飼っていました。それにしてもすごい静けさ・・・。

 

   おまけ
 タウテンブルクからイエナへ帰る途中のバスの中で、現地で購入したイエナの地図を見ていたら、偶然"Nietzschestrasse"を発見。
 しかもバスがこれからまさにその近くを通る!本数の少ないバスを降りるのは勇気が必要でしたが、たまらず下車。ふつうの住宅が数軒あるだけの小さな「ニーチェ通り」を見つけることができました。
(お陰様で帰りもなんとか路面電車を探し出し、ホテルまで帰ることができました。)





・・・以上、2002年夏訪問・・・



 



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