7. Tribschen・Bayreuth

 

 Tribschen(トリープシェン)とBayreuth(バイロイト)とニーチェ

 

 トリープシェンとバイロイトは、それぞれかつてワーグナーが住んでいた地です。そしてともにニーチェとヴァーグナーとのつながりを示す場所だといえるでしょう。
 トリープシェンを、ニーチェは「幸福の島」と呼んでいますが、これはトリープシェンにあったヴァーグナー家との思い出によるものです。ニーチェにとってヴァーグナーは親子ほど年の離れた存在でしたが、ニーチェは1869年から、23回(※諸説あり)もヴァーグナー家を訪れ、親しく交流していました。


 1872年にはヴァーグナー一家がトリープシェンからバイロイトへ引っ越します。そしてヴァーグナーはこの地に、有名なバイロイト祝祭歌劇場を建設します。ニーチェは「バイロイトにおけるリヒャルト・ヴァーグナー」(『反時代的考察』第4篇)を1876年に出版し、同年、第1回バイロイト音楽祭が開かれています。しかし音楽祭に出席したニーチェはヴァーグナーの楽劇に失望し途中退席。つまりこの頃にはニーチェのヴァーグナーに対する違和感が生じはじめていました。そして著作『人間的、あまりに人間的』(初版、1878年)でヴァーグナーとの決別を決定的なものにします。のちにニーチェは、「バイロイトにおけるリヒャルト・ヴァーグナー」(『反時代的考察』第4篇、1876年出版)を回顧して、「あの本に出てくるヴァーグナーの名は、私の名かツァラトゥストラという語かに読み替えてほしい」と述べています(『この人を見よ』「悲劇の誕生」の章を参照のこと)。

 

  トリープシェンの一般情報

 

  トリープシェンは、スイス・ルツェルン近郊、フィーアヴァルトシュテッテ湖(Vierwaldstätter See)のほとりの小さな岬の名前です。小さな地区ですが、(コアな)ヴァーグナーファンが観光に訪れます。ルツェルンから徒歩、あるいは湖を渡る船で行くこともできます。

ヴァーグナー博物館(Richard Wagner Museum)
 ヴァーグナーは1866年3月にミュンヘンを離れ、ここトリープシェンに越してきます。1872年4月にバイロイトに移るまでの6年間、ヴァーグナー一家は現在博物館となっているこの家で暮らしていました。
 <ヴァーグナー博物館情報(2002年現在)>
 住所:R.Wagnerweg27
 Tel.3602370
 開館:3月15日から11月30日まで。
    10-12時、14-17時。
    月曜休館(Ostermontag復活祭の月曜と、
    Pfingsmontag聖霊降臨祭の月曜は開館)。
 ここでは『リヒャルド ワーグナー ルッツェルン時代とトリープシェン博物館』という日本語の資料が買えました。以下説明は、この本と、実際の博物館の展示説明についての自分のメモとを元に行います。

ルツェルンの中心からトリープシェンへはフィーアヴァルトシュテッテ湖の湖畔をてくてく歩く。かなり道はわかりにくかった。
案内の看板"Tribschenhornweg"と"Richard Wagner Museum"を見つけてホッとする
(写真左)。ここまでくればあともう少し。で、到着!!
 建物の向かいになにやら石碑が。指揮者トスカニーニの記念碑でした。
 碑には「ルツェルン名誉市民アルトゥール・トスカニーニは、1938年8月25日、この公園にてモーツァルト、ベートーヴェン、ロッシーニ、ワーグナーの作品を演奏した」と刻まれていました。 
 

 (左)湖を臨む  (中央)遠景       (右)室内展示:元ワーグナーの仕事部屋。彼の洋服やソファも展示。


ニーチェに関する展示コーナー 

 棚の上段中央にあるのはニーチェのデスマスク(1900年)のレプリカで、青銅製です。その両隣にはよく見かけるニーチェの2枚の写真が配置されています。左の写真がプフォルタ時代の若きニーチェ(1865年)。右が横顔のニーチェ(1870年)です。さらにその左右にあるのは手紙です。左の封筒と手紙は、Friedrich Nietzsche, Basel, 15.7.1878, Brief an Wagners Mainzer Freundin Mathilde Maier(ヴァーグナーの愛人、マチルダ宛のニーチェの手紙、1878年)。右の手紙は、F.N.Basel,18.11.1871, Brief an Wagner(ヴァーグナー宛のニーチェの手紙、1871年)です。
 棚の下段にあるのはニーチェの初版本です。左から、Homer und die klassische Philologie, Erstausgabe, Basel, 1869(『ホメロスと古典文献学』)、中央:Die Geburt der Tragödie aus dem Geist der Musik, Erstausgabe, Leipzig, 1872(『音楽の精神からの悲劇の誕生』)、右:Der Fall Wagner. ein Musikanten-Problem, Am Abend vor seinem Zusammenbruch griff Nietzsche den Musiker Wagner heftig an. Originalausgabe,Leipzig 1888(『ヴァーグナーの場合』)


 ヴァーグナーのピアノ         R.ヴァーグナーの銅像        コジマ・ヴァーグナーの胸像

   
(左)ヴァーグナーの手(ヴェネツィア、1883年3月)や書簡。(右)上の階は楽器博物館になっています。
(中央)左はヴァーグナーと赤ちゃん(娘のエヴァ)と犬のルスの写真。右はヴァーグナーとコジマの写真。
  (左)ヴァーグナーのデスマスク
  (ヴェネツィア、1883年2月)。
(中央)ヴァーグナー肖像画。

 帰りは近くから出ている湖船で、
 ルツェルンの中心まで戻りました。

 

  バイロイトの一般情報

 

 ドイツ・バイエルン州北部に位置する小都市ですが、毎年開催されるバイロイト音楽祭(Bayreuther Festspiele)で世界中に知られています。
 それ以外の見所としても、辺境伯オペラハウス(Markgräfliches Operhaus)リスト博物館(Franz-List-Museumといった音楽関係の施設が目立っています。

 ♪辺境伯オペラハウス♪  プロイセンのフリードリヒ大王の姉で、辺境伯夫人ヴィルヘルミネ・フォン・バイロイトの命により、1744-48の間につくられた、ヨーロッパで現存する最も古い歌劇場(バロック・ロココ様式)。中では、見学者用の映像を鑑賞しました。
 ♪リスト博物館♪  フランツ・リストはコジマの父であり、したがってヴァーグナーの義理の父にあたります。リストはワイマールに住んでいたのでここは彼の住居ではなく、彼が亡くなった部屋がある家です。彼にとってここは、バイロイト音楽祭のために訪れた旅先でした。
写真Lists Sterbezimmer

バイロイト祝祭歌劇場Richard-Wagner-Festspielhaus
   ヴァーグナー自身が設計した歌劇場。
 毎年夏にはここでバイロイト音楽祭が催されます。本人による初演は大失敗に終わりましたが、現在ではチケット当選7年待ちといわれるほどの憧れの歌劇場です

       
まちなかには、ヴァーグナーとその作品の名がついた通りがたくさん。
 写真(左):この道をまっすぐ行くと、祝祭歌劇場に着きます。
写真(右)
 庭に立つコジマの銅像 
 

     現在では、見学ツアーに参加すると、オケブースに入れ、舞台の上にも立てます!



ヴァーンフリート荘(Haus Wahnfried)
 ヴァーグナーのバイロイトにおける住居です。
 ここヴァーンフリート荘にもニーチェ関係のものを展示している一角がありました。なかでも興味深かったのは、ニーチェがコジマに捧げた楽譜の展示でした。
 (なお、こちらの施設は入り口以外撮影禁止でした。)
 


  門       ルートヴィッヒⅡ世の像
    玄関ホールには、
 彼のオペラの主人公たちの
 白い像が並んでいます。
    (左):ヴァーグナーとコジマのお墓。
(右):その脇にある、愛犬ルスのお墓。  







・・・以上、2002年夏訪問・・・



 



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