1. Röcken

 

  ニーチェにとってRöcken(レッケン)とは?

 

 18441015日にニーチェはここレッケンで生まれました。
 父は牧師でしたが、まだニーチェが幼なかった18497月に亡くなります。ニーチェは18504月に家族でナウムブルクへ移住するまでここで暮らしていました。

 現在もここには、ニーチェの生家と父親の牧師館、そしてニーチェ一家の墓があります

 

  Röckenとは?

 

 レッケン村は、ドイツにあるリュッツェンLützen近郊の小さな村です。ニーチェが生まれた当時はプロイセン王国ザクセン州に属していました。

 

 さて、レッケンは、今回の旅で最も行き方を苦慮したところでした。
        
 最寄の大都市はライプツィヒ(Leipzig)です。最初、Leipzig Hauptbahnhofからリュッツェンを経由してレッケンへ行くというルートを考えましたが、市電とバスの乗換えが3回もある上、バスの本数がganz wenigなのです。
 結局、Leipzigから列車(RE)40分のヴァイセンフェルス(Weisenfels)駅まで行き、そこからタクシーを使うルートを選択しました。ヴァイセンフェルス駅前にはたくさんタクシーが止まっていたので、まずは一安心しました。ヴァイセンフェルスからレッケンまではタクシーで片道15ユーロほど要しました。これも思ったより安価で助かりました。

 写真(左)ヴァイセンフェルス駅
 ちなみにヴァイセンフェルスには、ドイツ・ロマン主義の小説家ノヴァーリスの家(Novalishaus)(現:博物館)がありました。
 写真(右)ノヴァーリスが亡くなった部屋@ノヴァーリスハウス


 

 

 

 

タクシーから降り立ったときのレッケン村の風景

 

ニーチェ生家(Nietzsche Geburtshaus)への案内板

 

 

牧師館

 

   ニーチェの父がプロテスタントの牧師として従事していた牧師館。

 左の写真が概観、右下の写真がその内部を撮影したものです。
 この牧師館でニーチェの埋葬式が行われたとき(1900年)の写真を見た記憶がありますが、牧師館の内部はその時からほとんど変わっていないように見受けられました。

 

                         

 

入り口には"EVANGELISCHE DORFKIRCHE RÖCKEN"の真新しいプレートが掛かっていました。



 

 

ニーチェの墓

 

 
牧師館の裏手には、ニーチェ一家の墓地があります。

3つ(5名)の墓が並んでいます。

 

                         

 

 

 

(左)ニーチェの墓。(中央左)妹エリーザベトの墓。(中央右)黒い石板には、母フランチェスカの名が彫られています。

(右)黒い石板の下の石には、父カール・ルートヴィヒと弟ヨーゼフ(2歳で早逝)の名が入っています。




 

 

ニーチェの生家

 

   牧師館の奥に、ニーチェが生まれた家が残っています。

 現在は牧師館付のプライベートスペースになっているので、中に入ることはできません。

 

                         

 

 

 

生家の壁にとりつけてある

記念プレート

哲学者フリードリヒ・ニーチェ

18441015日~1900825日)

の生家

 

 

(左)生家の側面 (中央・右)中庭 
 
ところで、わたしが見て回っている間、他に訪問者はいらっしゃらず。

写真撮るのには好都合ですが、ちょっと寂しい。

 

ニーチェ記念館(Nietzsche-Gedenkstätte


 中庭に面した家(小屋)がニーチェ記念館になっています。 (写真右)

 この小屋では、ニーチェに関する展示が行われています。小さい小屋ですし、資料的価値が高いものが置かれているわけではありませんが、私一人のために牧師館の方が出ていらして、親切にご対応くださいました。
 

 <ニーチェ記念館情報(2002年現在)
  住所:Teichstr. 8 06686 Röcken    
  Tel.034444-20546

 



 


裏の庭スペースにはニーチェとニーチェの墓を模したオブジェがあります。

 ところで、タクシーの運転手さんに、1時間後にここに迎えにきてね!とお願いしておいたのですが、時間を5分過ぎても来ません。ほとんど人通りのないこの村で、このまま来なかったらどうしよう///と冷や汗をかきましたが、その後ちゃんと来てくれました。


・・・以上、2002年夏訪問・・・



 



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