授業トップに戻る

 


授業(早稲田大学・2010年度)

 


担当科目

生活環境美学(山本恵子)

文化構想学部 春学期                    38-AV教室

授業概要 
 本講義においては「美しさ」という言葉の広がりをわたしたちの生活環境の場面のうちで考えてゆきます。
「美しさ」は、一般的に、芸術に特権的に帰せられます。しかしながら、そのような美の既成観念は、じつは美の広がりのごく一部ないしは特定の時代の一局面でしかないといえます。この作品(モノ)は美しい、といった既成観念を捨ててください。
むしろ美の広がりは、わたしたちを取り巻く世界、わたしたちの身体、そして私たち自身につねにかかわるものであるといえるでしょう。わたしたちの習慣化されたしぐさの継承、モノやお金やことばによるコミュニケーションのたえざる流れ、可視・上可視を問わず張り巡らされたネットワーク、制度とそれを超えでる力との葛藤――これらは美の基盤であり、同時に美的対象でありえます。もちろんこれが、文化の本質でもあります。そして「美しいもの」は、モノとして美しいのではなく、絶えず動いてゆくわたしたちの生活環境の中ではじめて美しくもなり、醜くもなるのです。
 こういった観点を前提としつつ、個人のマナーから身体、死生観、芸術、宗教、果ては国家の美までを、射程とします。

-----------------------------------------------
授業計画
1.「生活環境美学」とは何か
2.
「生活環境美学」の系譜
3.
消費における〈無感性化〉
4.
日常とアートとの間
5.
商品化される自然
6.
美は実用的なものか?
7.
陶酔する日常-非日常(1)ギリシア悲劇における陶酔
8.
陶酔する日常-非日常(2)ジャニーズコンサート/ショッ
 ピングモール
9.
陶酔する日常-非日常(3)陶酔とカリスマ
10.
〈日本的感性〉について考える(1)滅びの美学「パトラッ
  シュ」
11.
〈日本的感性〉について考える(2)滅びの美学「高貴な
  る失敗」
12.
〈日本的感性〉について考える(3)「カワイイの二義
  
性」 :外務省「カワイイ大使」/リチーと村上隆
13.
景観をめぐる趣味論
14.
食と日本の現在
15.
まとめ

※第14回でゲストスピーカーとしてお越しいただいたパティシエ弓田亨先生の講義の様子が以下のブログで掲載されています。                          詳細はこちら
                                                  

 

現代哲学の諸問題(山本恵子)

文化構想学部 秋学期                    38-AV教室

 (副題:文化的共生の倫理と哲学)
授業概要
 現代は、世界的市場の形成と情報化の中で、よい意味にせよ悪い意味にせよグローバル化・ボーダーレス化の急速な進行に直面しています。とりわけ地球環境の破壊などの負の問題に対しては誰もが危機感を強め、国境を越えた対話と対策が急務であることを自覚していることはいうまでもありません。しかしこうした危機感が世界的に共有されているにもかかわらず、国家間・民族間・宗教間・文化間の対立は依然として解消される気配がありません。世界的規模での破壊と連帯。この現実を踏まえたうえで本講義においては、複合的でありかつ根本的なディレンマを内包する社会状況における「共生」の可能性を、現代哲学が取り組まなければならない根本問題の一つとして、「文化」という観点のもとに検討します。
 その際に本講義が手がかりとするのは、現代哲学の主要な源泉のひとつであるニーチェ思想です。制度と自己とを徹底的に対立させることによって生のあり方を根底から問い直した後期ニーチェの見解は、今日の状況を読み解くための重要な示唆を与えてくれるはずです。またニーチェ思想のほかに、ジャン=リュック・ナンシー、ジャック・デリダ、フランシス・フクヤマらの思想にも言及することで、現代哲学における他者論の広がりにも目を配る予定です。
-----------------------------------------------
授業計画
 
講義はニーチェ等のテクストに依拠しながら、ときには映像資料も用いつつ、各回ごとにテーマを立てておこなわれます。
1.
イントロダクション「ニーチェを辿る旅」
2.
映画『善悪の彼岸』(ニーチェ)
3.
孤独(ニーチェ)
4.
畜群――対話の不可避性と不可能性(ニーチェ)
5.
優越願望と対等願望(フクヤマ)1
6.
優越願望と対等願望(フクヤマ)2
7.
優越願望と対等願望3――「世界にひとつだけの花」と

しての自己
8.
多文化共生とは何か――価値の価値性を問う
9..
なぜ携帯電話はうるさいのか
10.
対話の哲学
11.
ユダヤをめぐる問い
12.
神の死


13.
「歓待」の思想――ホスピタリティの思想史的コンテク

ストと移民問題(デリダ)
14.
「監獄」の他者性をめぐって(フーコー)
15.
「侵入者」(ジャン=リュック・ナンシー)

複合文化論系演習 感性哲学1(美と芸術の感性研究)
(山本恵子)

文化構想学部 春学期                   32-127教室

授業概要
 芸術の本質が創造性にあるとすれば、その本質ゆえに、芸術の定義(「芸術とは-である」)は常に更新され続けなければならない運命にあります。なぜなら、既存の芸術を超えて新たな芸術が生み出されるときには、同時にそれに合う芸術の定義が新たに必要とされるからです。本演習は芸術作品を理解する基盤となるこの〈芸術の定義〉を問題にします。とくにデュシャン以降の現代アートをめぐる状況において一層複雑化する〈芸術の定義〉の可能性を探ることを目的とします。
 授業の前半では、有益な議論を実現するために必要な基礎知識を蓄積するべく、20世紀後半のさまざまな芸術理論について論じられているテクスト(シンシア・フリーランドの著書『でも、これがアートなの?――芸術理論入門――』)を用いて授業を進めたいと考えています。この書は、古代・中世・近代・現代の基本的な芸術理論に加えて、ジョン・デューイ、ジャン・ボードリヤール、クレメント・グリーンバーグ、アーサー・ダントー、ジョージ・ディッキーら、20世紀の思想家・批評家たちの諸理論にも言及しています。
 授業の中盤・後半では、現代アートの諸相の中から各自の関心に基づくテーマを自由に設定し、プレゼンテーションをおこなうこととします。
 演習形式の授業ですから、現代アートを鑑賞する際の解釈の仕方や疑問について、受講者のみなさんが率直に意見を交換できる場にしたいと思います。
-----------------------------------------------
授業計画
1.イントロダクション
2.
「おぞましいもの」のアート
3.
「コンセプチュアル・アート」
4.
「落書き」のアート
5.
現代アートの諸相(プレゼン準備回)
6.
プレゼンテーション(1)
7.
プレゼンテーション(2)
8.
プレゼンテーション(3)
9.
プレゼンテーション(4)
10.
プレゼンテーション(5)
11.
プレゼンテーション(6)
12.
プレゼンテーション(7)
13.
プレゼンテーション(8)
14.
プレゼンテーション(9)
15.
プレゼンテーション(10)

 

基礎演習9(山本恵子)

文化構想学部 通年                    31-203教室

授業概要
 学問の世界に入るために必要なアカデミック・リテラシー(学問の方法、論文の執筆方法などの知識と技法)の養成を目的とします。具体的には、文章を読み取る力、自分の考えを発表する力(プレゼンテーション力)、議論する力、文章を書く力を身につけていきます。これらは、ゼミ論文・卒業研究、卒業論文の作成の基礎となるだけでなく、社会で活躍するのに必須の能力です。
 春学期では、文献の検索方法と資料収集方法について学ぶとともに、基礎演習データ・ベース(下記参照)にある論文の主旨の読み取りや、それに関する自分の考えをまとめての発表などを行います。これらの学習を通して、読解力・プレゼンテーション力・討論力を養います。夏休みの課題は、後期に提出する論文の草稿の執筆です。秋学期からは、本格的に論文の執筆に取りかります。この作業を通して論理的に考え、それを文章にする力を養います。本演習は、原則として通年15回授業を行います。

 

音楽の哲学
(山本恵子)

文化構想学部 秋学期                    38-AV教室

授業概要
 本講義では西欧の神話世界から現代にいたるまでの音楽の歴史を哲学的観点から概観します。音楽を哲学的観点から考察する目的は、伝統的な意味での音楽史を概括することではなく、音と精神をつなぐものとしての音楽に表現された時代精神と文化の痕跡を探求することにあります。古代の調和的宇宙観から中世キリスト教の思想体系、さらに近代の自律的人間観に至るまで、音楽は哲学的世界観を映す鏡であり続けました。ここに音楽と哲学の本質的関係があります。この本質的関係をめぐって、具体的に古代(ピュタゴラス、プラトン)、中世(ボエティウス、アウグスティヌス)から、近代(ショーペンハウアー、ニーチェ)、現代(ベンヤミン、アドルノ、ジャンケレヴィッチ)までの音楽の哲学を講ずる予定です。
?
哲学者ニーチェは「音楽なしには、生は誤謬である」とさえ言っています。実際音楽がわたしたちの生活にもたらす喜びは少なくありません。その意味では、音楽の意義を改めて強調する必要はないかもしれません。しかしながら、音楽に宿る意味性を、宗教やイデオロギーの問題をも含む哲学的文脈から導出すること、ここに本講義の特徴があります。とはいえ、哲学を専門としない受講者にもわかりやすく伝達することに努めるとともに、古代から現代までのさまざまな作品例を用いて受講者の幅広い関心に対応できるように努める予定です。
-----------------------------------------------
授業計画
1.はじめに:哲学史と音楽史を重ねてみる
2.
古代ギリシア哲学と音楽(1)
3.
古代ギリシア哲学と音楽(2)
4.
教会と音楽
5.
小テスト&ルソー
6.
近代ドイツにおける体系哲学と音楽観(カント・ヘーゲル)
7.
ショーペンハウアー:なぜ音楽は他の芸術ジャンルより優位にあるのか
8.
ニーチェ:アポロン的なものとディオニュソス的なもの
9.
ショーペンハウアー・ワーグナー・ニーチェを結ぶもの
10.
小テスト
11.
退廃音楽、あるいは普遍的言語としての音楽――ナチス・ドイツをめぐって――(フルトヴェングラーのヒンデミット事件と『戦場のピアニスト』)
12.
十二音技法
13.
アドルノの「文化産業」論におけるポピュラー音楽批判
14.
ジャンケレビッチ:死・不可逆性・時間・音楽
15.
小テスト 





担当科目(複数教員)

感性と文化
(酒井紀幸/飯嶋一泰/大久保良峻/山西優二/山本恵子)

オープン教育センター 前期(日本)・夏季(ドイツ・トリア大学)

(副題:メンタリティと制度)
授業概要
 現代において自分たちの文化を論じるということは、単に自分たちの属する1つの国、1つの文化のうちにとどまったままで可能となるものではありません。実際自分たちの文化のみを自分たちの言葉で、自分たちだけが理解できる論理で理解するという考え方が、その文化の本当の姿を覆い隠してしまうことになる場合がしばしばあります。そしてこのことが時として、他の文化との摩擦を生み出す原因ともなっているわけです。
 この授業は、ドイツの中でもルクセンブルクやフランス国境近くに位置するトリア大学の協力の下、実際にドイツに赴き、ドイツの大学で、ドイツ人を始めとするさまざまな外国人(教員および学生)とともに日本の文化、制度とメンタリティーについて学び、考え、議論しようとするものです。たくさんの国々に接したヨーロッパの町から、日本の文化について考えることは、日本にいてそれについて考える場合とは少しばかり意味が違ってくるかもしれません。
 わたしたちは自分たちにとって当たり前と思われることを何1つ疑うことなく正しいことと思い込んでしまっているかもしれない。でもそれはもしかすると、非常識なことなのかもしれない。ここから出発しましょう。そして最終的には、日本の文化を起点として他の文化の深層を理解してみようと考えています。わたしたちは、何を見、そして何を見ようとしないのか。そして他の文化圏の人々は…。

  

<自己>の文化と<他者>の文化
(酒井紀幸 他/飯嶋一泰/上野和昭/大久保進/小林茂/小
林信之/坂上桂子/島善高/島田征夫/寺崎秀一郎/西村
正雄/宮城徳也/山本恵子)

文化構想学部 春学期                   36-681教室

授業概要
 あなたの隣にいる人も「他者」です。また異文化、異言語、異なる文化的伝統や生活習慣に属する人々も「他者」でしょう。それでは「自己」は「他者」なくしてはありえないのでしょうか。現代において(文化的)アイデンティティをどう考えればよいのでしょう。「他者」との出会いや対比によって「自己」(とその文化)は新たないかなる存在として立ち現れてくるのでしょうか。「他者」(の文化)と触れ合うことで「自己」(の文化)はどのように変容してきた(変容しつつある)のでしょうか。そして「自己」と「他者」とのコミュニケーションはいかなる言語(通訳・翻訳)で行われるのでしょうか。「自己」と「他者」の出会いにはどのような誤解やコンフリクトが生じてきたのでしょう。異文化間のコンフリクトをどのように調停することができるのでしょう。
 この授業は「自己」と「他者」というキーワードをめぐって、主として文化構想学部の複合文化論系に関わる教員が、歴史的展望を語り、また現代の文化現象について多様な角度からアプローチします。受講者は、この、現代人にとってますます切実になる問題をどのように解いていけばよいかについての、毎回異なる、そして全体として豊かなヒントを得ることができるでしょう。これまで考えてきたことが確認される場面もあるでしょう。思ってもみなかった新鮮な切り口に驚かれる回もあるでしょう。受講者はこのオムニバス形式の授業によって、複合文化論系の教員がどんなことを考え、どんなテーマで研究を進めているのか、その一端に触れることができ、また眼前に広がる主として人文科学の研究領域の広さと深さにめまいのする思いを味わうことにもなるでしょう。そしてそこから文化構想学部、文学部のたくさんの授業との様々なレベルの有機的関連を見渡すことが可能になるでしょう。
山本担当回
12.文化的共生の哲学――哲学は「戦争」をどう取り扱ってきたのか(ヤスパースとナチズム、ハンス・ヨナス『アウシュヴィッツ以後の神』、そして日本)



 

感性への問いの射程
(酒井紀幸/桜井洋/平山敬二/山本恵子)

オープン教育センター 前期                15-202教室

授業概要
 今日さまざまな形で「感性」という言葉が用いられ、論じられています。芸術のみならず教育、産業、政治等々においても。一方では感性の喪失が叫ばれ、他方ではよいことのすべてが感性に帰せられています。しかし感性とはいったい何なのでしょうか。芸術に対する理解力?社交性?倫理性?感覚の鋭さ?むしろ日本語で「感性」という場合にはもっと幅広い意味が隠されているようです。もしかすると生きるためにもっとも重要な隠れた力なのかもしれません。なるほどそれは美を発見する技であると同時に、美しく生きる技であるかもしれません。
 この授業では、感性についての歴史的な基礎知識を概観するとともに、感性への問いの射程を見極めるべく、毎回さまざまな角度から感性について考えてゆきたいと思います。もちろん芸術についても。しかし例えば社会の様々な規範と感性、法律と感性、住まいと感性、教育と感性、食と感性、コンピュータと感性といった観点からも「感性」という言葉の広がりと内実、そしてそこからわれわれが何を求めているのかを考えます。そのために時に応じていろいろな領域の方々をお招きして、その方たちにとっての「感性」を論じていただき、それについて皆さんとディスカッションを行おうと考えています。
山本担当回
6.「感性」の概念史と感性価値創造の現在


食の文化(酒井紀幸 他/鈴木晃仁/土井善晴/長屋房夫/馬場朗/森枝 卓士/山本恵子/渡辺万里)

文化構想学部 秋学期                   38-AV教室

授業概要
 「食」は、感覚とりわけ味覚に訴えるものであると一般的に考えられています。しかしながら、感覚だけで「食す」人間がどこにいるでしょうか。食とは、いやおうなく地理的・歴史的背景をもち、それゆえ文化そのもののネットワークの中にあってはじめて意味を持つものであるといえます。
 本講義では食のシーン、食の器、食材、食をめぐる身体的作業、習慣、風土、医、宗教、感性、食産業、言語、差異化的趣味判断等、さまざまな観点から食のありようが検討されることになります。
 さらにこういった問題を考えてゆくために、さまざまな文化圏における食についてスポット的に焦点を当ててゆくことになるでしょう。取り扱うテーマは、多様となりますが、詳細についてはオンライン・シラバスを参照してください。
山本担当回
12.食生活――過去・現在・未来
15.ゲストスピーカーのコーディネーター)

 

美意識の比較研究
(酒井紀幸/大久保良峻/桜井洋/陣野英則/山本恵子)

オープン教育センター 後期          7-418教室

授業概要
 
美意識の相違はどこからくるのであろうか。この古くて新しい問題を各領域の教員が問いかけることによって、社会、文化、産業、技術、集団、個人などが今日において抱える問題の諸相を解き明かすことが、本講義の課題です。とりわけ欧米と日本が、主たるフィールドとなるでしょう。そのさい伝統と美という「魔術的な」タームに隠されている構造もまた明らかにすることになります。
山本担当回
10.美か?わいせつか?(ダントーのメイプルソープ論)
11.
アヴァンギャルドとキッチュ
13.
抽象表現主義ポップアート 
3.4.6.7.12.ゲストスピーカーのコーディネーター)



※ゲストスピーカーにお越しいただいた小川貢一先生の
  HPコラムに、本講義の様子が掲載されています。
                                                  
詳細はこちら

 

感性と死の問題への導入(酒井紀幸/山本恵子)

オープン教育センター 前期              120-3-301教室

授業概要
 死は人間を上可避的に規定します。しかしまた死を規定するのも人間です。何が死であり、死はいかなるものであるか、と。「死」が訪れることのない私たちの人生を想像してみてください。その場合の毎日とはどんなものでしょうか。「今」の意味とは、おそらくは「死」を想うこと(メメント・モリ)から始まるのかもしれません。

 本授業では、「死」のさまざまな様相の分析を目的とします。具体的には、日常性のコンテクスト、内面的なそれ、宗教的、芸術的、社会的、政治的、経済的なコンテクストといった観点から多面的に考察していきます。死は崇高であると同時に、きわめて現実的なものであることに気づくでしょう。

 いずれにせよ、死のイメージから始まって、死にかかわる現実を検討しつつ、死の根本構造を解き明かすことが重要な課題となります。

 

ボディイメージ
(酒井紀幸/青木律/かづきれいこ/山本恵子)

オープン教育センター 後期                7-220教室

(副題:身体と心の美しさ)
授業概要
 現代においては、美しくなければ、整っていなければ人間ではないかのごとく、さまざまなメディアから美しさに関する情報が浴びせかけられています。しかしながら「美しい」とか「整っている」とは、いったいどういうことなのでしょうか。この古くて新しい問いを医学、リハビリメイク、哲学・美学などの観点から総合的に検討してゆきます。
 授業の内容は具他的なものとなりますが、しばしば専門的になることもあります。とはいえ専門知識に関してはその都度できるだけわかりやすく解説していきます。
 受講者の皆さんは、できる限り自分でこの問題を考え、かつ現実の生活にフィードバックすることを心がけてください。
山本担当回
9.美容整形と現代アート(オルラン)

 

〈さらす/覆う〉の構造学          (酒井紀幸/青木律/池田晶子/かづきれいこ/神末武彦/小沼純一/清水哲朗/田口淑子/中島智章/長屋房夫/山本恵子/渡辺万里)

文化構想学部 春学期                   36-681教室

(副題:欲望とアイデンティティ)
授業概要
 文化現象の根本構造を検討することがこの講義の課題です。たとえば、化粧で肌を「覆うこと」と素顔の肌を「さらす」こととは、それぞれのコンテクストによってさまざまな意味を持ちうるのではないでしょうか。見せることと見せないこととは、対極にありながらもその相関的関係の中で私たちにさまざまな感情や欲望、判断や想像を喚起するわけです。もちろんファッション、衣食住、芸術、宗教、政治、社会、コミュニケーションなどの文化的領域全般においても同様の構造を見出すことができるでしょう。本講義においては、これらの領域のトピックスについて具体的に考察を進めることによって、さらすことと覆うことの緊張関係の中でどのように文化が構成されているかを検証することになります。
山本担当回
1. 〈さらす/覆う〉の哲学――本来的自己への問い――
5.
芸術家は自己を<さらす>べきか?

 

感性への問いの現在
(酒井紀幸/桜井洋/志岐幸子/森利枝/山本恵子)

オープン教育センター 後期                15-202教室

授業概要
 
今日さまざまな形で「感性」という言葉が用いられ、論じられています。芸術のみならず教育、産業、政治等々においても。一方では感性の喪失が叫ばれ、他方ではよいことのすべてが感性に帰せられています。しかし感性とはいったい何なのでしょうか。芸術に対する理解力?社交性?倫理性?感覚の鋭さ?むしろ日本語で「感性」という場合にはもっと幅広い意味が隠されているようです。
 この授業では、現代における感性への問いの「問われ方」を見極めるべく、毎回さまざまな角度から感性について考えてゆきたいと思います。前期科目「感性への問いの射程」とは多少異なる観点から感性を考えてゆく予定です。できる限り「現場」にスポットを当ててみましょう。音楽、スポーツ、料理、宗教からサブカルチャーなどへの考察も視野に入ってきます。比較文化ないしは異文化コミュニケーション的な観点からもあわせて考えていきます。「感性」と聞いて、英語ではどんな語を思い浮かべますか?この答えをこの授業のなかで探してみてください。本授業の進め方も前期の「感性への問いの射程」同様、時に応じていろいろな領域の方々をお招きして、その方たちにとっての「感性」を論じていただき、それについて皆さんとディスカッションを行おうと考えています。
山本担当回
14.感性産業の諸相











その他:


その他(ゲストスピーカー):

文化構想学部「卒業研究」指導
基礎講義1・2(オンデマンド授業:複合文化論系)

「イメージと感性」(テーマ「イメージの力:ニーチェの芸術論を中心に」)
「現代美学の射程」(テーマ「ニーチェの「文化」批判を読む」)

 

 

 

 

Copyright(c)2010-Keikoyamamoto.com